院長ブログ

歯医者になるまでの道のり

私の家は代々の歯科医院です。

徳島の田舎町に男3人兄弟の末っ子として生まれました。 家は大阪から疎開してきた祖父の代から歯科医院を営んでいます。 生まれた時から歯医者独特の消毒の匂いに囲まれて育ちました。

小さい頃は病弱で保育園、幼稚園、小学校低学年までは頻繁に休んでいたせいか友達も多くなかった気がします。 この頃までは私の中で母が生活の中心で、いつも夜中に母を起こして病気の介抱をしてもらっていました。夜通し私の面倒をみて、朝には仕事をする母の背中を小さかった私の記憶にも深く残っています。

小学校高学年になった頃にはスポーツが出来るようになりました。 走ることが好きだったこともあり、父の勧めで野球を始めました。 この時代の小学生はスポーツと言えば、ほとんどが野球少年でした。 病弱だった私にも意外な才能があり、小さな町の集落の中でホームランバッターにまで成長して父のとっては自慢の息子へと転身しました。

学校に通っている時は色んなことに興味を持ち、エレキギターを練習しバンドを組んでみたりテニスやゴルフもたくさんの友達としてきました。 勉強は苦手でしたが、歯科大学に入学してからは赤点を取ることもなく卒業しました。

ちなみに歯科大学へは家の影響もあり入学を決意したように思います。 今思えば安易だなと自分でも笑ってしまいますが、これを転機に田舎から少し都会に出て広い世界を見させてもらった気がします。

勉強が苦手だった私も歯科の勉強は新たな学問だったためか、一からやり直すつもりで始めましたが自分には慣れ親しんだ環境だったので天職となりました。 おそらく小さい頃から歯科医院に出入りし道具や仕事の内容、技工士さんとの会話などから歯科の英才教育を受けていたのかもしれません。

歯科大を卒業してからも父の勧めで麻酔科へ進みました。 麻酔科では病院で行われる全身麻酔や腰椎麻酔、鎮静麻酔を学び、そのまま高齢・障害者歯科へ進み、歯科と全身疾患について深く学びました。 勉強嫌いだった私にはハードルが高過ぎましたが、多くを学び現在の高齢化社会に備えることが出来ました。

歯医者になるまでは何のために自分がこの世の中に存在するのか、意味のない生活に疑問を持ったこともありました。しかし、この文を書き進めるに至って母から教わった無償の愛情と父の仕事への姿勢をみて育ち、たくさんの友人や先輩、先生から今の自分になるために育ててもらいました。 そして、私が歯医者になってから思う歯科医師像は出来上がったと思います。 それは人のために役立つことを仕事において生きがいとすることです。 私は好きなことは一生懸命してきました。親からの愛情はとても感じています。 生まれ育った環境と勉強が不得意だった私の新たな学問への挑戦と好きになった仕事への探求、親から受けた愛情を他の人への奉仕へとつながっていき、私の今があります。

これからも歯科医業を天職として真摯に患者様と向き合って行かせて頂きますので よろしくお願いいたします。